「課長にしたから、もう残業代はいらない」——そう考えている会社は少なくありません。結論から言えば、管理監督者と認められる年収の境界線は存在しません。実際の裁判例では、年収約640万円で管理監督者と認められた例がある一方、年俸1,250万円でも否定された例があります。裁判所が見ているのは年収の絶対額ではなく、社内で誰と比べてどれだけ高いか、そして権限が伴っているかです。判例7件を比較しながら、実務で使える判断の物差しを解説します。
1. 管理監督者なら本当に残業代は不要なのか?
時間外・休日の割増賃金は不要ですが、深夜割増賃金は必要です。
労働基準法第41条第2号は、「監督若しくは管理の地位にある者」について、労働時間・休憩・休日に関する規定を適用しないと定めています。これにより、時間外労働と休日労働の割増賃金は支払わなくてよいことになります。
ただし最高裁は、深夜業の割増賃金(午後10時〜午前5時)は適用除外に含まれないと判断しました(ことぶき事件・最二小判平成21年12月18日)。管理監督者であっても、深夜に働かせれば割増賃金の支払いが必要です。
また、管理監督者に当たるかどうかは肩書では決まりません。厚生労働省のパンフレット「労働基準法における管理監督者の範囲の適正化のために」は、①職務内容と責任・権限、②勤務態様、③賃金等の待遇という観点から、労働条件の決定その他労務管理について経営者と一体的な立場にある者かどうかを実態で判断するとしています。
2. 判例に「年収○万円以上」という基準はあるのか?
ありません。肯定例の年収は、否定例より低いことさえあります。
| 結論 | 事件名 | 役職 | 年収の目安 |
|---|---|---|---|
| ○ 肯定 | 日本ファースト証券事件(大阪地判平成20年2月8日) | 支店長 | 約984万円(月82万円) |
| ○ 肯定 | 姪浜タクシー事件(福岡地判平成19年4月26日) | 営業次長 | 約648万円 |
| ○ 肯定 | セントラルスポーツ事件(京都地判平成24年4月17日) | エリアディレクター | 約640万円(基本年俸) |
| × 否定 | HSBCサービシーズ・ジャパン事件(東京地判平成23年12月27日) | ヴァイス・プレジデント | 1,250万円(年俸) |
| × 否定 | 日産自動車事件(横浜地判平成31年3月26日) | 課長職相当 | 1,000万円超 |
| × 否定 | 東京地判平成27年6月24日 | — | 約1,000万円 |
| × 否定 | 日本マクドナルド事件(東京地判平成20年1月28日) | 店長 | 部下と逆転・差が僅少 |
肯定された3件の年収は約640万〜984万円、否定された例には1,000万円を超えるものが並びます。年収が高ければ認められる、という関係にはなっていないことが一目で分かります。
3. 裁判所は「待遇」をどんな物差しで見ているのか?
「社内での相対的な位置」の3点です。
① 社内で最上位クラスの待遇か 姪浜タクシー事件の営業次長の年収は600万円台でしたが、従業員の中で最高額であったことが重視されました。セントラルスポーツ事件でも、エリアディレクターの基本年俸640万0800円は、執行役員などに次ぐ社内上位の水準でした。
② 非管理職の最上位と比べて明確に高いか セントラルスポーツ事件では、非管理監督者の最上位職である副店長の基本給が月額28万4100円だったのに対し、エリアディレクターは年俸月額53万3400円に業績給が加わっていました。この「一般職の最上位との比較」は、実務で最も使いやすい物差しです。
③ 残業代込みの部下と逆転していないか 日本マクドナルド事件では、C評価の店長の年収が下位職の平均年収を下回り、B評価でも差額は年約44万円にとどまっていました。逆転や僅差は否定の決め手になります。三誠産業事件(東京地判令和3年6月30日)でも、月4万円の管理手当は高額とはいえないとされました。
厚生労働省の通達(平成20年9月9日基発第0909001号)も、店舗の管理者について、実際の労働時間で割り戻した時間単価がアルバイト・パートの賃金額に満たない場合を、管理監督者性を否定する重要な要素としています。長時間労働が常態化していると、年収が高くても時間単価では逆転し得る点に注意が必要です。
4. 社労士と経営者の会話
経営者「来月から主任を課長に昇格させます。年収は620万円になるので、残業代はなしでいいですよね。年収600万円を超えていれば大丈夫と聞いたことがあるんですが」
社労士「その『600万円ライン』に法的な根拠はありません。むしろ確認したいのは、昇格後の課長と、部下の中で一番稼いでいる人の残業込み年収との比較です」
経営者「部下のベテラン主任が、残業代込みで年580万円くらいでしょうか」
社労士「差は40万円ですね。マクドナルド事件では、差額が年約44万円程度の店長について、待遇として不十分と判断されています。しかも課長になって残業代がなくなれば、主任時代より手取りが下がる月も出てきませんか」
経営者「……繁忙期は、そうなるかもしれません」
社労士「それが一番危ない形です。昇格したのに実質的に減収、となれば、本人にとって管理監督者として扱われる理由がありません。年収の絶対額ではなく、この逆転が起きないかを見てください」
経営者「では年収を1,000万円にすれば安心ですか」
社労士「それも違います。日産自動車事件は年収1,000万円超、HSBC事件は年俸1,250万円でも否定されました。HSBC事件では部下がおらず、労務管理上の裁量がなかったことが理由です。待遇は必要条件ですが、十分条件ではありません」
経営者「その課長には部下が5人います。採用の面接にも同席させる予定です」
社労士「同席だけでなく、採否や人事考課、シフトや残業命令を自分で決められるかが問われます。上司の決裁を仰いで伝達するだけでは、権限があるとはいえません。それから、課長にしても深夜割増は必要ですし、労働時間の状況は把握し続けなければなりません」
経営者「管理職でも勤怠を取るんですか」
社労士「はい。労働安全衛生法上、管理監督者も労働時間の状況把握の対象です。長時間労働による面接指導の要否を判断するためです。残業代の計算のためではなく、健康確保のための記録です」
5. 年収が十分でも否定されるのはなぜか?
待遇は3つの要素の1つにすぎず、権限と勤務態様が欠ければ否定されるからです。
日産自動車事件は、年収1,000万円を超える課長職相当の社員について、管理監督者性を否定し、割増賃金約360万円などの支払いを命じました。HSBC事件でも、報酬は相当高額でしたが、担当業務が一部門の限定的なものにとどまり、部下もいなかったことから否定されています。
さらにHSBC事件では、「年俸には残業等に対するあらゆる賃金を含む」との契約条項がありましたが、割増賃金部分が明確に区分されていないため、残業代の支払いとは認められませんでした。管理監督者性を否定されたときの「保険」として年俸に残業代を含めたつもりでも、区分が不明確であれば機能しません。
6. 管理監督者にも必要な3つの対応
「残業代不要」でも、次の3点は免除されません。
深夜割増賃金の支払い——ことぶき事件の最高裁判断のとおりです。所定賃金に深夜割増を含める場合は、就業規則等でその趣旨を明確にしておく必要があります
労働時間の状況の把握——労働安全衛生法第66条の8の3により、管理監督者も対象です
年次有給休暇の付与——労働基準法第41条が除外するのは労働時間・休憩・休日の規定であり、年休(第39条)は適用されます。年5日の時季指定義務も同様です
よくある質問(FAQ)
Q. 管理監督者と認められる年収の目安はいくらですか。 A. 法令上も判例上も、一律の金額基準はありません。裁判例では年収約640万円で肯定された例も、1,250万円で否定された例もあります。社内の一般職最上位との比較、部下との逆転の有無が重視されます。
Q. 役職手当を増やせば管理監督者になりますか。 A. 待遇の要件を満たしやすくなるだけで、それだけでは足りません。経営者と一体的な立場にあるだけの権限と、出退勤の裁量が必要です。
Q. 管理監督者の勤怠管理は不要ですか。 A. 不要ではありません。深夜割増の計算と、労働安全衛生法に基づく労働時間の状況把握のために記録が必要です。
Q. 管理監督者性を否定された場合、どこまで遡って支払いますか。 A. 賃金請求権の消滅時効は、2020年4月1日以降に支払期日が到来する賃金について当面3年とされています。複数人が同時に否定されれば、影響額は大きくなります。
まとめ
管理監督者の判断で最も危険なのは、「年収○万円以上なら大丈夫」という思い込みです。裁判所は年収の絶対額ではなく、社内の一般職最上位や残業込みの部下と比べて明確に高いか、そしてその待遇に見合う権限と裁量があるかを見ています。自社の課長・店長・施設長を管理監督者として扱っている場合は、まず部下の残業込み年収との比較表を作ることから始めてください。判断に迷う場合は、社会保険労務士にご相談ください。
出典・参考資料(一次資料)
| 資料名 | 発行元 | URL |
|---|---|---|
| 労働基準法における管理監督者の範囲の適正化のために(パンフレット) | 厚生労働省 | https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/dl/kanri.pdf |
| 「管理監督者」の範囲の適正化に関するQ&A | 厚生労働省 | https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/faq/faq_kanri.html |
| 「多店舗展開する小売業、飲食業等の店舗における管理監督者の範囲の適正化について(平成20年9月9日付け基発第0909001号)」に関するQ&A | 厚生労働省 | https://www.mhlw.go.jp/topics/2008/10/tp1003-1.html |
| 労働基準法(昭和22年法律第49号)第37条・第39条・第41条 | e-Gov法令検索 | https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000049 |
参照判例
ことぶき事件(最高裁第二小法廷平成21年12月18日判決)
日本ファースト証券事件(大阪地裁平成20年2月8日判決)
姪浜タクシー事件(福岡地裁平成19年4月26日判決)
セントラルスポーツ事件(京都地裁平成24年4月17日判決)
HSBCサービシーズ・ジャパン事件(東京地裁平成23年12月27日判決)
日産自動車事件(横浜地裁平成31年3月26日判決)
日本マクドナルド事件(東京地裁平成20年1月28日判決)
東京地裁平成27年6月24日判決
三誠産業事件(東京地裁令和3年6月30日判決)
※労働時間の状況の把握は労働安全衛生法第66条の8の3、賃金請求権の消滅時効は労働基準法第115条・附則第143条によります。



